大東亜戦争は、聖戦であった。

メッセージ

理念


設立趣旨



祖先の決断のおかげで日本は植民地荷ならずにすんだ。
世界近代史は強い国が弱い国を支配下に置く、帝国主義の歴史であった。
アジアのほとんどの国はヨーロッパ軍事大国の植民地となり、日本にもその毒牙が伸びようとしていた。江戸時代の不平等条約を筆頭に、三国干渉、553条約、ABCD包囲網など、世界各国は日本つぶしにしのぎを削っていたのである。そんな状況の中、われらの先輩は富国と強兵に血と汗を流し、この日本を守ったのだ。感謝しても、感謝しても、しきれない恩を感じる。


世界に示した厳正な軍規
特に最後の大東亜戦争は悲惨であった。玉砕、特攻、非戦闘員の自決、都市に対する無差別爆撃、それでも我が陸海軍の戦闘意欲は高かった。
しかし、核兵器を使用されるにいたり、ご聖断が下るや、整然と武器を捨てたのである。世界戦史上類を見ない、潔い敗戦であった。


栄光の戦い
その後は、敵に国土を占領されるという未曾有の体験を余儀なくされたのであるが、その結果アジア諸国は独立を勝ち取ることができたのである。
戦争目的は達した。これが栄光の戦いでなくしてなんであろうか。


栄光の歴史を語り継ごう
この栄光を語り継ぐため、彼らが手にした武器、軍需品、生活用品などを収集し、後世に残すことは意義あることと思う。その拠点として、戦史資料館を設立する。

  • 設立目的
    戦時中の武器、軍需品、生活用品などを収集、保管、管理し、また展示することにより先人の栄光を未来に伝える。


主張


日教組は、人間にあらず。心の冷たい蛇か鬼か。



日教組は『教え子を戦場に送らない』という。親にとっては『子供を戦場に送らない』と言い換えてもいいだろう。

日本をつぶそう、占領しようという勢力がそこまで来ているときに、『戦場へは行くな』ということは『敵が侵略するのを傍観せよ』ということだ。自分はそれでいいだろう。勝手に奴隷となる道を選んだのだから・・・。

でも、子供はどうなる。子供にも『お前も一緒に奴隷になれ』と強要するのか。

なんと無慈悲な!!!! なんと情のない!!! なんと残酷な!!!

おれにゃ、そんな冷たいことはどうしてもいえない。
おれなら『オレが死んでもお前が自由に生きる天地を残してやる。少なくとも、命がけでその努力はする』というだろう。そして銃を取って戦場に赴く。



こんな立派な方もいる。日本人の誇りとして、紹介します。

「肩の荷がおりました」元生活保護受給者が100万円恩返し

                                     5月30日7時51分配信 産経新聞

 「岡田さんに見てもらいたい」−。茨城県取手市内に住む70歳代の女性がそう言って見せたのは、自分の預金通帳。20年ほど前に生活保護を受けていたという女性はその後、職を得てコツコツと貯金を続けた。年金生活者となった今、「恩返ししたい」と話し、同市に100万円を寄付した。
 「岡田さん」とは、20年ほど前、同市のケースワーカーとして女性の相談に乗った岡田儀春政策調整課長(53)。岡田課長は今月26日、女性から突然、電話を受け、「その節は大変お世話になりました。今は年金をいただき、税金も納める生活ができています。ついては、市に恩返しをしたい」と持ちかけられた。
 女性は、母親と2人暮らしだった昭和62年ごろ、自身の病気もあって生活保護を受けていた。その2年後ぐらいには仕事に就き、生活保護を辞退した。
 岡田課長は電話を受けた翌日、女性に会った。女性は貯金をおろして岡田課長に現金100万円を渡し、そのまま2人で社会福祉協議会までいって寄付した。「これで肩の荷がおりました。ありがとうございました」。女性はすがすがしい顔をしていたという。
 岡田課長は「今どき、ほんとうにこんな人がいるのかとびっくりした。生活保護の不正受給などがあるなか、実にすごいことだと思う」と話している。
 同市では寄付金を車イスの購入資金に充てることにしている。



大東亜戦争は聖戦であった

平成20年5月27日

本里福治

多くの国々、特に先進国といわれる国のほとんどには、戦争博物館があります。『このように戦って自由を得た』『このように戦って独立を勝ち取った』『このように戦って迫害から民族を護った』と、戦いの歴史を栄光の歴史として、語り継いでいます。
日本には『戦争博物館』がありません。厳密に言えばないわけではありません。遊就館も知覧特攻記念館も三笠記念館も、その他自衛隊駐屯地の記念館もあります。
しかし、私が思うに、遊就館も知覧特攻記念館も不満足であります。展示内容や規模ではなく、その思想です。どこかに『悲惨な体験を繰り返さないために・・』とか、『明日の平和を願って・・』とか、余計な思想が入っていて、不純です。単純に『大東亜戦争は聖戦であった』それだけでいいのです。

ちょっと勇み足を言えば、いわゆる南京大虐殺があったかなかったか、小虐殺はあったか、何人死んだかなど、私にとってはどうでもいい。
そんなことは枝葉末節なことなのです。今日捕虜にした奴は民間人なのか、便衣兵なのか、正規兵の残党なのか、今日中に結論を出さなければこちらが殺されるという状況なのです。明らかに悪いやつだと分かっている麻原 彰晃の裁判に10年以上も掛かっている平和な時代とは違う、戦争という異常事態の中での話しなのです。戦闘中なのです。
戦争ですから何人も死んだでしょう。中には子供を抱いたお母さんに流れ弾が当たったかもしれない。しかし、致し方ないことなのです。

大切なことは当時の日本が、じっとしていれば滅びる、戦えば滅びるかもしれないが、生き延びられるかもしれない、どちらかを選ばなければならない瀬戸際に立たされ、戦うほうを選んだということです。誰一人として『戦争したら面白かろうな。シナに攻め込んで大勢殺したら面白かろうな』と思った人はいなかったのです。

なぜ戦う方を選んだのか、それは子孫が平和で豊かな生活ができる天地を残したかったからにほかなりません。平和で豊かな生活ができる天地、つまりこの日本国を残していただいたわれわれ子孫は、ただひたすら『お父さん、おじいさん、ご先祖様、ありがとうございます』というしかないはずです。
今頃になって『戦わない道もあったはずだ。戦えば負けることは分かっていた』などというのは、結果論、後知恵です。当時の人々は『戦う道しかない』と信じたのです。それに対して善悪の判断を、現在の人がしてはなりません。『善であった』と信ずるしか、道はないのです。なぜなら、われわれの父母が、祖父母が『善である』と信じて行ったことなのですから・・・。

当時の日本人、つまりわれわれの父や母、そして祖父母たちは、戦場に赴く戦士たちを
♪・・・勲をしのぶ 国の民 永久に忘れじ その名こそ・・・♪と、彼らを送り出したのではなかったのですか。靖国神社に神として祭り、永遠にその勲を語り継ぎますと約束して、・・・。
戦士らもまた、親を、兄弟を、子孫を、祖国を守ることが正義であると信じて勇んで死地に赴いたのです。
たった六十余年しかたっていない現在、靖国神社がいいの悪いの、総理大臣が参拝することがどうのこうの、小ざかしく語ること自体、すでに語る口を持たない彼ら戦没者に対する裏切りです約束を守らないうそつきです。そんなやつは許せません。
偉そうに、裁判官のように、『どちらの言うことが本当であろうか。事実はどうであろうか。正しい歴史認識は・・・』などということ自体、生意気もはなはだしい。
『あなた方は正しかった。だから、われわれの今の生活があるのです』とだけいえばいいのです。その意味で『大東亜戦争は聖戦であった』のです。

それが証拠に、終戦後、自発的にインドネシアに残って独立戦争に参画した日本人は7000人です。独立までの戦いで6000人が死にました。その後老齢化が進んで今生存しておられる方は30人です。全員『われわれは大東亜共栄圏建設のために戦ってきた。日本が負けたからといって、われわれがインドネシア人を見捨てて帰れるか』という気持ちだったのです。私利私欲で戦ったのなら、何で敗戦後もインドネシアに残る必要があったのですか。
文字通り、アジア開放のために戦ったからなのです。
彼らの栄光の戦いを後世に伝えることは、現在生を受けているわれわれの大きな務めではないでしょうか。

那須の戦争博物館館長栗林白岳氏は、個人でよくあれだけのものを収集されたと感心するばかりの戦争資料を収集しておられます。整理はさぞ大変だろうと拝察します。目録を作ってキチンと保管・管理せねば散逸の危険さえあります。何よりも展示内容に関心を持つ見学者が絶えないことが一番大切です。
白岳氏を応援するためにも、新潟で、中間法人戦史資料館を立ち上げました。
ぜひ、多くの方に会員として名前を連ねていただきたく、そして、この誇りある事業へのご参加をお願いいたします。

私の夢は、パラオやサイパンに沈んでいる艦船や零戦を引き上げ、日本に持ち帰ることです。ぼろぼろになっていることでしょうが、それはそれで価値があることなのです。
パラオ共和国は『日本人が命がけで戦ってくれたから、われわれの今がある。その遺品である武器、兵器は大切な国のたからである』として、国外への持ち出しが禁止されています。しかし、戦争博物館についてのみ、持ち出してもいいということで、パラオの王様と話が付いています。何とか実現したいものです。

何かというと『・・・の自由』とか『・・・の権利』とか言いながら、実はダブルスタンダードの売国奴の裏切り者のうそつきに怒りを込めてこれを書いています。

『ダブルスタンダードの売国奴の裏切り者のうそつき』と、罵倒されるのが不服なら、次の質問に答えろ。
● 1980年代以前はまったく問題にならなかった総理の靖国参拝が、何でその後は政治問題になるのか。
● 『アメリカの核は汚い核で、ソ連の核はきれいな核』といっていた人たちは、今でもそう思っているのか。
● 20万人の人口の南京で、どうやって30万人虐殺したのか。
● 30万人虐殺されたはずの南京の人口が、一週間で25万人になった理由は?
● 『北朝鮮は地上の楽園』といっていた連中は、そのうそがばれてからも、なぜ釈明しないのか。
● 『ベトナムに平和を・・』といっていた連中は、ベトナムからの米軍撤退後のボートピープルになぜ謝らないのか。
● 米軍の空母・イージス艦入港に反対しているやからは、なぜ、中国軍艦の日本寄港に反対しないのか。
● 『米軍兵士の少女暴行事件』に大騒ぎしている人たちは、何で『御茶ノ水駅における警察官殺人未遂事件』を黙殺するのか。

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional