大東亜戦争は、聖戦であった。

ブログもどきH21・9・22~H21・3・8

過去ログは、頭から読み下せるように、古い方からの順番になっています。

新規開設のご挨拶 H20/9/22(月) 午前 2:29

もしわれらが安穏と、国家が存続すると思い込んでいる国民なら、滅び去るのもやむをえない。
もしわれらが人類の歴史に名をとどめる、真に力のある民族なら、独立と尊厳を勝ち取るため、何をすべきか探るはずだ。
牢獄の庭を歩く自由より、嵐の海をどこまでも泳ぐ自由を、われらは求めるべきだ。

そんな思いをこめて、日々の思いをつづっていきます。
よろしくお願いいたします。

戦史資料館建設への決意 H20/9/22(月) 午後 10:47

世界近代史は帝国主義の歴史であった。
アジアのほとんどの国はヨーロッパ軍事大国の植民地となった。
そんな状況の中、われらの先輩は富国と強兵に血と汗を流し、日本
の独立を守った。彼らのおかげで現在の平和がある。感謝してもしきれるものではない。
その努力の結果は日本ばかりではなく、アジア諸国の独立をすら勝ち取ることができたのである。戦争目的は達した。これが栄光の戦いでなくしてなんであろうか。

今頃になって『戦わない道もあったはずだ。戦えば負けることは分かっていた』などというのは、結果論、後知恵である。当時の人々は『戦う道しかない』と信じた。その決定を『善であった』と信ずるしか、我々の選択肢はない。なぜなら、われわれの父母が、祖父母が『善である』と信じて行ったことなのだから・・・。

新潟の地に戦史資料館を建設し、その栄光を後世に語り継ぐ決意をここに表明する。

約束は守らねばならない。 H20/9/23(火) 午前 8:20

明治維新以来、日本は多くの戦いを経験した。当時の日本人、つまりわれわれの父や母、そして祖父母たちは、戦場に赴く戦士たちを
♪・・・勲をしのぶ 国の民永久に忘れじ その名こそ・・・♪
と、彼らを送り出したのではなかったか。
靖国神社に神として祭り、永遠にその勲を語り継ぎますと約束して、・・・。

戦士らもまた、それをよしとして勇んで死地に赴いたのである。
たった六十余年しかたっていない現在、その善悪を小ざかしく論ずること自体、すでに語る口を持たない彼ら戦没者に対する裏切りであり、約束を守らないうそつきである。
われらは、約束を守るため、彼らの栄光を語り継ぐ。

二度と火をはかない主砲 H20/9/24(水) 午前 0:25

画像の説明拡大
私が、三浦海岸で掘り出した97式戦車です。
≪写真工事中≫
サイパンで戦い、日本へ帰還したのですが、GHQの命令で三浦海岸に埋められていました。私がバックホーを持ち込み、掘り出しました。

現在は、那須の戦争博物館で、余生を送っています。

97式戦車帰還す H20/9/24(水) 午後 10:49

平成17年夏、その戦車は現れた。海岸に埋まっていたのである。
波に現れて、さび付き、ぼろぼろであった。

画像の説明

11月、バックホーをクレーン付きトラックに積み込んで、現場に乗り込んだ。2日がかりで掘り出したものの、クレーンでは持ち上がらない。なんといっても戦車、 全備重量は15.8t、装甲は20〜25mmの代物だ。エンジンははずされ、装備もなしといえど8〜9tはあるだろう。クレーンは3トンだから、上がるはずはない。
ガスを借りてきて切断した。

  • 続く--

97式戦車帰還す その2 H20/9/27(土) 午前 0:25

簡単に『切断』といっても、25ミリ圧もある車体、おまけに半分はさびだ。さびはガスが通らないから、さびていないところを溶かし流して、後のさびをたがねで叩き落す。これじゃハカが行かない。丸1日かかった。
それでもクレーンの腕を伸ばしての持ち上げは無理だ。地面をずるずるずると引きずって、やっとトラックのそばまで持ってきた。後は腕を最短に縮めて何とかトラックの上に載せた。

  • 続く--

97式戦車帰還す その3 H20/9/27(土) 午後 7:06

2キロ近く先の浄水場まで、草を掻き分けるようにして、トラックを進ませた。何度かスタックしかかりながら、やっと脱出。

今は、那須の戦争博物館で、静かな余生を送っている。
君はもう戦わなくていいのだよ。主砲ももう、弾を撃たなくていいのだよ。よくがんばってくれた。君のがんばりのおかげで、我々は独立を守り、平和に暮らせる。

そして、君が元気だったころ、君を操って戦った兵士諸君よ。ありがとう。ありがとう。

建設作戦の合間に・・・ H20/10/16(木) 午後 10:05

新展示場建設は、多忙のため、ちょっとお休み。
とはいえ進展がないわけじゃない。

まず、今月18日の『軍歌軍装祭』(ホームページ行事案内参照)に、新潟戦史資料館の開設案内のチラシを配ってもらえることになった。
一人や二人の入会者がいるだろう。(希望的観測)

那須戦争博物館から提供してもらう三八式歩兵銃、三○式機関銃などは、18日が過ぎてからもらいに行く予定でokをもらった。

佐藤h氏から、本20冊の寄贈あり。大正時代や昭和初期に発行されたもので、資料的価値あり。
もっとあるけど、一度に持ってこられないとのことで、さらに追加の寄贈がある。
川崎のY氏からも1000冊寄贈の約束があるから、大変な数になる。図書館も作んなくっちゃ。

建設作戦の合間に・・・ その2 H20/10/23(木) 午後 9:49

18日、那須の戦争博物館主催の軍歌軍装祭に行って来た。

いやあ、感動したなあ。日の丸の小旗を打ち振って、九段会館3階まで一杯の観客が、楽しげだった。
もちろん年寄りが多いが、二十代三十代の姿も少なくない。軍歌が単なる郷愁の歌から、独立したジャンルとしての市民権を得てきたのではなかろうか。うれしい限りだ。

詳しくは、ホームページの『資料館ニュース』をごらんあれ。

建設作戦の合間に・・・ その3 H20/10/24(金) 午前 11:01

会員システムに付いて、ちょっとした改善事項あり。
役員3人と会って協議。賛同を得る。

この会のキャッチフレーズ・・・・H20/10/26(日) 午前 9:59 午後7:24編集

歴史を肯定し、祖先に感謝をささげる。
  • サブテーマ『祖先の偉大な決断のおかげで今日があることに感謝し、その勲を後世に伝えるとともに、祖先との約束を守ります』
  • 偉大な決断とは『日本を子孫に伝えるために守りぬくには、戦うべきだ』と決断したことをさします。
    それがよかったか悪かったか、別な道もあったか無かったか、それを論う権利は我々にはありません。歴史に『たら』『れば』はないのですから・・。
    百歩譲って、よしんばその決断が最善の策でなかったにしても、現実に日本が独立国として存在しているではありませんか。そのことに感謝しようではありませんか。
  • これからどうすべきかを考える資料として歴史を学ぶことは大切です。それと、過去に起こった事実への感謝は別の問題です。
  • 感謝すれば当然『ありがとうございます』って言いますよね。
    我々だけでなく、みんなで言ってほしいですよね。
    子孫にも言ってほしいですよね。
    だから、子孫に伝えましょう。
  • では『祖先との約束』とは何か、
    「死んだら靖国神社に祭りますよ」
    「あなた方の勲は決して忘れませんよ」
    「あなた方だけを死なせはしませんよ。我々も後に続きますよ」
    そう約束して出征兵士を送ったのではありませんか。
  • 今の日本を見ると、この民族としての約束を守らない人も少なくありません。
    『社長が替わって会社の方針が変わりましたから、前に切った手形は落としません』といったら、誰でも怒ります。
    『総理大臣が代わったので、以前の条約は無効です』といったら、国際信義は守れません。
    平成の御世に生きる日本人の多くは、これと同じことをしているのです。
  • これからの方針と過去にした約束を守ることとは別な次元のことなのです。
    約束を守らない人は『うそつき』の『裏切り者』です。
    私は『うそつき』にも『裏切り者』にもなりたくありません。

この会のキャッチフレーズ その2・・・・・・H20/10/28(火) 午後7:51

最初は『大東亜戦争は聖戦だった』で行こうと思っていました。しかし、ちょっときつすぎる。
言わんとすることをよく読んでもらえば、決して戦争賛美でも、戦前すべて良しでもないことは分かってもらえると思うが、アレルギー反応を起こすバカがいる。

もう一度書く。アレルギー反応を起こすバカがいる。←確信犯(朝日的表現)

そんなバカでも一応は日本人、ちょっと頭は弱いけど、教えてあげたら分からないものでもなかろう。もう一度チャンスを与える意味で、やわらかい表現で読んでもらえる余地を残した。
意味は同じことなのだ。
先輩の決断を肯定する、感謝する、そこからしか未来を構築できないということだ。頭からお父さんお母さん、おじいさんおばあさんのやったことを否定したら『お前はなんなのよ』ということになる。お前の存在価値はないんじゃないの?

いや、『お前』というのはあなたのことじゃありません。アレルギー反応を起こして読もうともしないバカのことですよ。(笑

この会のキャッチフレーズ その3・・・・・・H20/10/29(水) 午前8:52

昨日のこのページで『決して戦争賛美でも、戦前すべて良しでもない』と書いた。しかし私は、決して『戦争絶対反対』でも『不戦による平和論者』でもない。

私は今まで63年生きてきたが、一度も『戦争賛成』といった人に会ったことがない。つまり、『戦争反対』という人は、相手のいない論争をしているのだ。バカみたい。
『俺はこの議題に賛成だ』『いや、俺は反対だ』ということで論争がかみ合う。『賛成』する人がいない『反対』なんて、意味がない論争だ。

戦争は、反対したからなくなるのではない。日本の自主独立を、力(軍事力)を以って侵そうとする国があるから戦争がおきる。そんな国の意図をくじく『軍事力』を持つことによって平和は維持される。

時として、その軍事力が『抑止力』ではなく、実際に使わなければならない事態も起こるだろう。そのときは銃を持って立つべきだ。そのような事態に立ち至っても戦わないのは、子孫のことを思わない自己中の腰抜け、臆病者、卑怯者だ。

我々の父母祖父母は偉かった。子孫のために立ち上がってくれたのだから・・・。
お父さん、お母さん、そしておじいさん、おばあさん、祖先すべての皆さん、ありがとうございました。おかげで我々子孫は、平和で豊かな生活ができます。

 

この会のキャッチフレーズ その4・・・・・・H20/10/30 (木) 午前8:45

昨日書いたことは重要だから、もう一度書く。

我々の父母祖父母は偉かった。子孫のために立ち上がってくれたのだから・・・。
お父さん、お母さん、そしておじいさん、おばあさん、祖先すべての皆さん、ありがとうございました。おかげで我々子孫は、平和で豊かな生活ができます。

日教組は『教え子を戦場に送らない』という。親にとっては『子供を戦場に送らない』と言い換えてもいいだろう。
日本をつぶそう、占領しようという勢力がそこまで来ているときに、『戦場へは行くな』ということは『敵が侵略するのを傍観せよ』ということだ。自分はそれでいいだろう。勝手に奴隷となる道を選んだのだから・・・。

でも、子供はどうなる。子供にも『お前も一緒に奴隷になれ』と強要するのか。
なんと無慈悲な!!!! なんと情のない!!! なんと残酷な!!!
おれにゃ、そんな冷たいことはどうしてもいえない。
オレが死んでも『お前が自由に生きる天地を残してやる。少なくとも、命がけでその努力はする』というだろう。そして銃を取って戦場に赴く。


戦争博物館館長、新潟に来たる。・・・・・・H20/11/3 (月) 午後10:45

平成20年11月2日(日)戦争博物館館長栗林白岳氏が、新潟にこられました。
金沢にて軍装祭を指揮するための、旅の途中に立ち寄られたのです。目的は、戦史資料館建設予定地の実地調査。

栗林館長のほか、近藤相談役、早川理事、それとわしの孫秀明と、5人で現地に行きました。

建物を見て、親鸞聖人像を見て、その会館『西方の湯』を見て、そこで宗教法人『越後の里親鸞聖人』代表理事佐々木氏と面談。初めて会った三人とも佐々木氏と意気投合、資料館建設に向かい、大きな一歩となりました。

館長は金沢に向かうため新潟駅まで送り、そこで食事をしながらさらにいろいろなためになる話を聞かせていただきました。

わしの周りには、何でこんなにすばらしい人がいるのか、金には恵まれない私ですが(笑)、人にはなんと恵まれていることか。ありがたいとしか言いようがありません。

いよいよ、展示品受領・・・・・・H20/11/7(金) 午後10:20

昨日は、那須の戦争博物館訪問。
機関銃、38式歩兵銃、同騎兵銃など、30点ほどを受領。
今日から写真を撮って、パンフ、名刺などの準備にかかります。

一歩づつ前進。ゆっくりながら確実な前進。
やろうじゃないか。


写真第一発目・・・・・・H20/11/12(水) 午後11:50

やっと写真アップ。『収蔵品案内』をごらんあれ。

まだ、倉庫に入れてあるので、場所が狭く、アングルが悪くて恥ずかしいのですが、とりあえずということで・・・。(汗

ほかにも、軍服各種、従軍看護婦のかばん、士官背嚢、兵背嚢など、一杯あるのですが、スタジオとして使える場所がありません。
おいおいにアップしていきます。

山本五十六記念館訪問・・・・・・H20/12/6(土) 午後9:40

昨日、長岡の山本五十六記念館へ行ってきました。前々から行きたいと思っていましたが、チャンスが無いまま、延び延びにしていました。
こぎれいな入り口から入ると左側にカウンター。穏やかそうなじい様が切符売りをしていました。
500円を出して入場。

元帥の書や、留学時代の書籍、私用の帽子などの身の回りの品々がありましたが、軍隊時代のものは少なかったです。
一番、目をひくのは中央に置かれた一式陸攻の翼。ブーゲンビル島から持ち帰ったものです。前面には木にでもぶつかった後か、丸い大きな凹みが・・・。

一説によると、墜落したときには長官は生きていた。救出に行った陸軍の兵士が射殺した。戦争継続のためには、和平派の長官が生きていては都合が悪い、・・・ううん、可能性はある。
歴史の事実は闇の中です。

新潟における、田母神氏の講演会決まる・・・・・・・H20/12/28(日) 午後9:53

いよいよ新潟にも、田母神氏においでいただけることになりました。
楽しみだなあ。田母神氏の声をじかに聞けるなんて。

閣下、お待ちしていますよ。

くわしくは、このサイト、『行事案内』にてご覧ください。

皆様、明けましておめでとうございます。・・・平成21年・皇紀2669年元旦

今年一年、皆様にとって良き年であるよう、お祈りいたします。

いよいよ展示館建設に掛かります。

とはいえ、年明け一番のしごとは那須の戦争博物館の飛行機の修理。長年の年を経て、あちこち痛んできています。

それが終了次第、胎内にて、戦史資料館の展示場建設。

その合間に、会員募集をしなくっちゃならないし、田母神閣下の講演会の準備。
しのぎの仕事の段取りもあるし、寝ている暇はありません。寝るのは、あの世へ行ってからゆっくりと・・・。

那須戦争博物館に行ってきました。・・・・・平成21年1月7日

正月気分も、徐々に抜かなくっちゃ、と思う今日です。

5日、戦争博物館訪問。
展示してある飛行機が、だいぶぼろぼろ。以前から手入れをしなくっちゃと思いつつ、そのままになっていました。
さてやろうと、とりあえず下調べ。手入れ方法を館長と打ち合わせ、材料の用意などして、来週から掛かります。

那須戦争博物館に行ってきました。その2・・・・平成21年1月16日09:05

11日、12日と那須の戦争博物館訪問。飛行機の修理をしてきました。
後半から雪が激しく、予定作業は遅れ気味。13日からは、さらに気温が下がるとの予報に接し、一旦撤退。
18日は、栗林館長の誕生日ですので、そのお祝いをかねて再訪します。

今後の私の生業として目指している『たいやき』も、ちょっと人に自慢できるレベルまでいったので、『バースデーケーキ』ならぬ『バースデーたいやき』としゃれ込んで・・・。

さて、我が戦史資料館のほうは、昨年12月1日から法律が変わって、『中間法人』は、『一般社団法人』と、名称が変わります。(つーか、もう変わっています)
登記上の名称を変えなくとも、自動的に『一般社団法人』と読み替えて、法律の適用を受けられるのですが、直近の社員総会で一応『名称変更の決議』をし、『定款変更する』という手続きが必要です。

一方、税金の面ではもうひとつ手続きが要ります。
というのは、『一般社団法人』の中にも、税制から見ると2種類あるそうでして、税金のかかる法人と税金のかからない、完全な非営利法人だそうです。その違いは、定款に『剰余金や残余財産を社員で分配しない』という文言があるかないかで分けられるとの事。

我が戦史資料館の定款には、『残余財産の処分方法は、社員総会で決する』となっているので、これでは税金がかかるんだそうです。
ということで、定款変更の作業をやっているのですが、これがなかなか大変。かなり苦戦しています。

これで、法人税だけでも7万円/年、その他、収入マイナス経費の3割の所得税が浮くのであれば安いもの。
せいぜいがんばります。(笑

まだ、新潟にいました。(笑・・・・・平成21年1月19日13:55

なんと、まだ、新潟。
『なにやってるんだっ。早く行けっ』ですって。まあまあ、そう怒らずに・・・。
17日に戦争博物館館長に電話したら、『わしゃ、18日からいないぞ。20日まで帰ってこなしぞ』

これじゃ行ってもしょうがない。20日以降に仕切りなおし。
ということです。

でも、20日は、税務署に行って税金がかからなくする手続きがあるし・・、行くのは21日かな。

更新遅れてスマソ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・平成21年3月8日10:00

ふと気がついたら、前回のカキコから2ヵ月半が過ぎていました。すみません。
その間にいろいろなことが進展しました。といっても、展示館建設に付いてはあまり進展なし。主に体制構築に関して、いろいろやってました。

たとえば、昨年の12月1日を以って法人に関する法律が変わりました。それに対しての対応が結構大変でした。

まず、『有限責任中間法人』は廃止になり、『一般社団法人』に名称変更。それに伴い、定款を変更し『名称、当法人の名称は、一般社団法人戦史資料館とする』にして、それを法務局に届けなければなりません。

また、税制面でも変更があり『営利法人』と『非営利法人』では税金が違います。当法人は税金のかからない『非営利法人』とするため、条件をそろえるための定款変更、組織改変を迫られ、手続きをいろいろしていました。
もうちょっとで終わります。

具体的に何をしたかは、話がごちゃごちゃするのでここでは省きます。これから法人を立ち上げたい方は、相談に乗れますよ。結構勉強させられましたから・・・。(笑

そうそう、相談に乗るといえば、戦争博物館も法人化する方向で進んでいます。いいことだ。

5月の連休明けごろ、社員総会を予定しています。といっても社員は3名しかいないので、理事・監事・相談役・顧問・会員など、賛同者すべてに声をかけます。そして、シャンシャンの総会ではなく、今後の方針を討議する総会にしたいと思っています。
まだ会員になっていない方も、希望者は参加できますので、連絡ください。



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