大東亜戦争は、聖戦であった。

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戦ってくれたおじいちゃん

おじいちゃんを支えてくれたおばあちゃん

こんな立派な日本をありがとう

ご恩は決して忘れません



花の戦史資料館 受難物語
ブログもどき に掲載中。

戦史資料館、危機に遭遇中です。是非お読みください。




一般社団法人 戦史資料館  いよいよオープン

平成28年12月 8日、9日、10日、11日

午前10時~午後8時

12日からは、電話にてご予約ください

なんで12月8日なの?
今から75年前、昭和16年の今日、日本が大東亜戦争に突入しました。
日本の自存自衛のため、そしてアジア諸国を白人の植民地から解放するため、我々のおじいちゃんたちは大きな望みを抱いて、雄々しく戦ったのです。
そんな先人の栄光を伝える日、それが12月8日なのです。

どんなイベントをやるのですか?
特にこれといったことはやりません。
留守の時においでいただいても、から足になります。
8日から11日までは常に開館しています。また、せっかくですから、何か記念品を差し上げようと、準備しています。

どうして、こんなことをやろうと思ったのですか?
大東亜戦争で戦った方々は、『あの戦いに参加した』という誇りを持っていただきたいし、その子孫である我々は、祖先の遺徳を忘れないでほしいのです。そのために、当時の品物を集め、皆さんに見ていただきたいと思いました。
こんなことは、私しかやりません。だから私がやるのです。

どうやって集めたのですか?
那須の戦争博物館からの寄贈してもらったものと、インターネットで寄贈の申し込みのあったものが大部分です。
そのほか「じいちゃんが大事にしていたものだけど、亡くなったので引き取ってほしい」と持ち込んでくれたものもあります。
民族の大切な遺産です。ゴミになんか出さないでください。戦史資料館が大切にお預かりします。

どんなものが展示してあるの?
大東亜戦争で使われた小銃や軍刀、儀仗刀、手りゅう弾や大砲の弾などの武器兵器、そのほか兵隊さんが着て戦った軍服やゲートルなどです。かつての戦地から回収してきたものは、さびてボロボロになっているものもあります。

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特に見てほしいものはありますか?
2つあります。
その一つは米軍が日本の都市攻撃に使った焼夷弾の薬莢です。
焼夷弾というのは、木造住宅の多い日本の都市を焼き払い、女・子供・年寄りなど、非戦闘員を虐殺するための兵器です。

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もう一つは何ですか?
掛け時計です。
ただの時計ではありません。MEDE IN OCCUPIED JAPAN(メイド イン オキュペイド ジャパン)と書いてあることに注目してほしいのです。
昭和20年8月15日、戦闘は終結しましたが、それから7年間、日本は占領下という戦争状態にありました。この時計は、その屈辱の歴史の証です。

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950-0923 新潟市中央区姥ケ山 544-5
TEL 025-211-2573 FAX 025-211-2574
E-Mail nasebanaru@lapis.plala.or.jp
HP http://sumera-ikusa.com/
新潟駅から、車で15分ぐらいです。

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サイパンから帰還し、三浦半島に埋もれていた97式戦車。今は、那須戦争博物館に悠々自適の毎日だ。
サイパンから帰還し、三浦半島に眠っていた97式戦車。
那須戦争博物館に展示

戦後の日本は戦争を憎むあまり、戦争に参加した兵士たちの人格をも貶めるような風潮、無きにしも非ず、苦々しい限りです。
我々の現在の生活は、当時の国民すべてのご苦労の上に成り立っていることを自覚し、感謝の意を表することが必要ではないでしょうか。
戦史資料館は、上は大将将軍から、下は一兵卒に至るまで、また、銃後でご苦労された方々を顕彰するため、戦史資料を収集展示しております。

あの戦争が大東亜建設のためだったのか、大陸における利権を守るためだったのか、そんなことはどちらでもいいことです。出征した兵士たち一人ひとりをとってみても、アジア開放を夢見た人も、祖国を守るためにと思った人も、家族や恋人を守るためだった人も、いやいや行った人もいたでしょう。『戦争とはいえ、人を殺すのはいやだ』といって自殺した人もいたらしい。一億人の日本人がいるんだから、いろいろな人がいて当たり前です。

しかし、日本国家という団体としての決定は『この国難の打開策は、戦争という手段によるべきだ』ということだったのです。
当然、一人ひとりの意思とは多少の、ひょっとしたら大きなずれがあって当たり前です。一億のばらばらな意思の大集成が開戦という決定だったのです。『ばらばらな意思』とはいっても、開戦を肯定する意見が主流を占めたから、開戦になったのです。少数意見は無視されるのは、民主主義の基本です。5000票とった人は国会議員で、4999票しか取れなかった人は『ただの人』なのです。

だから日の丸を打ち振って『死んだら靖国神社に祭るぞ』『君たちの功は永久に忘れないぞ』『君たちだけを死なせはしない。我々も後に続くぞ』と約束して送ったのではなかったのですか。
戦後の日本の風潮は、その約束を守ってますか。

『俺はそんな約束はしなかった。昔の人がしたかもしれないけど・・』なんていってもだめなのです。手形を切った会社の社員が『その手形を切ったのは経理部長で俺じゃない』というようなものですよ。
手形を期日に落とすという約束を守るのは社員全体の義務、先輩の決定を肯定し約束を守るのは民族としての義務です。

約束を守らないのは『うそつき』です。『裏切り者』です。
約束は守るという、普通のことをしようじゃないですか。


平成20年9月1日

                                                 館長 本里福治








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